レバーのある風景

後頭部にレバーがついている男を見たら。あなたはどうするだろうか。突然訊ねておいて一方的に断言してしまうが、まず間違いなくレバーを引きたくなるはずだ。はずだ、というか絶対に引きたくなるに決まっている。

しかし引けないのだ。こちらも三十路のいい大人である。たとえ目の前の丁度良い位置にレバーがあってもそれを勝手に引くことは躊躇われるものだ。なにしろそのレバーを引いたら何が起こるか分からないのだから。

もちろんレバーの設置状況や周辺環境もろもろからレバーを引くことによって発生し得る事態を想定できる場合もあるだろう。例えば排煙装置が稼動したりシャッターががらがらと音を立てて閉まったり上からタライが落ちてきたりなどだ。人間といういものはこうした条件下においては比較的自制しやすいように思える。アクションに対するリアクションがある程度明確であれば、そしてそのリアクションが自分の身の安全や社会的地位を脅かすと判断できれば人は不用意にレバーを引いたりはしないのである。

しかし。後頭部なのだ。よりにもよって何故後頭部なのか。まさに鉄人 28 号のリモコンに生えた二本のそれに酷似した形状の物体をあたかもバカ殿のチョンマゲの如くに後頭部に生やして憚らないこの男は一体何者なのか。それもスーツで。革靴で。銀縁眼鏡で。一見するとごく普通のサラリーマン然としながらも、その後頭部には、嗚呼、幾度となく目を凝らしてなお燦然と一本のレバーが誇らしげに突き刺さっているのだ。いや生えているのか。設置されているのか。いずれにせよそれは紛うかたなきレバーなのであった。

かくして私はとてつもなくそのレバーを引きたい衝動に駆られていた。なにしろ形状といいサイズといい位置といい、いかにも引いてくださいと言わんばかりにレバーは私を誘惑するのだ。軽く手を伸ばせばすぐ届く場所なのだ。引きたい。これは私に引けと言っているのだろうか。そうだ間違いない。このレバーは私に引かれたいがためだけにこの世界に存在しているのだ。

そうとなれば何を遠慮することがあろうか。私のレバーだ。いやもちろんそんなことはなくて、レバーはあくまで私に後頭部を向けて無防備に佇むこの男のものなのであるが、しかし良く良く考えてみれば、後頭部に生えているということは、即ちこの男自身にレバーを引くことは困難なのだ。気がついてみれば単純なことである。やはりこのレバーは誰か他の人間が、それは無論私でも構わないわけだが、要するにこの男以外の人物によって引き降ろされることを前提としていることは最早疑いようのない真理なのだ。

だから引け、引いてしまえ、私よ。神は言われた。「レバーあれ」。言ってないがそんなことは関係ない。今ここには男と私しかおらず、レバーを引けるのは私を置いて他にはいないのだ。アテンションプリーズ。お客様の中にレバーを引ける方はいらっしゃいませんか。私でお役に立てれば。控え目に、しかし堂々と名乗りを上げた私に集る期待と羨望の眼差し。私は颯爽と立ち上がると迷いのない動きで軽やかに右手をレバーに伸ばし――。

しかし残念ながらここは機内ではなく美人のキャビンアテンダントに助けを求められたわけでもなかった。そもそも私はこれまでの人生において緊急に人様の後頭部のレバーを引かねばならない状況に遭遇したことがない。私はレバーを引きたいという極めて利己的な欲望を正当化する論理を持ち合わせていなかった。今日ほど己の腑甲斐なさを嘆いた日はなかった。この先何十年が経とうともこの屈辱を忘れることはないだろう。

「なあ竹村。つかぬことを聞くが」

「なんだどうした。この世の絶望を一身に背負ったような顔をして。俺で力になれることがあるなら何でも言ってくれ」

「気を悪くしたら済まないのだが。その。お前の後頭部を見ていて気付いたことが」

「これか。実は今朝寝坊してしまってな。やはり気になるよな」

私には頷くことしかできない。寝坊とレバーと何の関係があるのだ。

「ちょっと待っててくれ」

そう言い残してトイレに駆け込んだ竹村が程なくして戻って来くると、その後頭部にはもうレバーは生えていなかった。


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